「匠」について
岐阜県(関市)Gifu - Seki
関市は、日本の中部地方の南に位置する岐阜県にある街です。
関市は800年前の昔から始まった刀鍛冶によって、日本中にその名が知られる鍛冶の街です。
1200年ごろ、有名な刀祖がこの地に移り住み、刀鍛冶を始めたのが最初だといわれています。関市は良質の焼刃土と松炭、そして澄んだ水に恵まれたところです。
現在、この街ではモダンな刃物とステンレス刃の都に成長し、多くの新しい産業が育っています。また、毎年、日本最大の刃物祭りが行われている街でもあります。
今では、新しい鋼材で刃が薄く光沢があり、スタイリッシュな洋風の刃物が作られるようになりました。
刃物メーカー:ミソノ刃物㈱、包丁のフジタケ、正広、雅、服部刃物㈱、㈱ヤクセル、三越刃物(有)、兼常、福田刃物工業㈱、Mate、Shiki、霞, 関兼次刃物㈱ ほか
フジタケ FUJITAKE COMPANY
フジタケは、ステンレス鋼を使ったモダンな包丁を造る刃物の都、岐阜県関市の小さな街で創業されました。さまざまな種類の刃物を造るために、高品質の合金を厳選し、設備の整った2階建ての工房で刃物を造り続けているのが、この会社の代表を務める後藤武氏です。経験豊富な鍛冶職人が包丁から研摩までを手造りでつくられています。
今回、弊社では、関市でその優れた品質でよく知られるフジタケの包丁を販売させていただくことになりました。
福田刃物製作所 TAKBLADE
福田刃物製作所は1代目福田一兼氏により1941年に岐阜県関市で設立された。
2代目社長の福田登夫氏がポケットナイフやハンティングナイフの製作を始め1970年頃よりアメリカに渡りTAK FUKUTAの販売を始めた。
そして、最高水準のナイフを追求し続けていた登夫氏は1978年アメリカにてナイフの神様と呼ばれるロバート・ウォルド・ラブレス氏に認められ師事をした。
そして同年に製作したラブレス・フォールディングナイフが認められ、日本人で始めてアメリカンナイフギルドのメンバーに選ばれた。
登夫氏を高く評価したラブレス氏は自分が知っているカスタムナイフ作りのすべてを教え、帰国後も実際に使用できる道具としてのナイフ作りにこだわり自身でフィールドテストをしながら、使いやすさ、堅剛さ、デザインを兼ねそろえたナイフを探究し続けた。
現在は3代目である福田一浩氏が父、登夫氏から受け継いだカスタムナイフ作りとラブレス氏のハートを引き継ぎ、最高のナイフを追求し、カスタムナイフをはじめ、フラワーアレンジメント等で使用されている、ハイエンドなフローリストナイフ等を製作している。
ミソノ刃物(株) MISONO CUTLERY CO.,LTD.
ミソノは800年の伝統を誇る刀都、岐阜県関市に拠点をおく専門の刃物メーカーです。
熟練した鍛冶職人の技によって、伝統技術と近代的な技術とを融合させました。包丁の製造には、数々の厳しい工程、なかでも正確な熱処理などを行います。そのほか、企業秘密とされる工程により作られる刃物は、他の追随を許さない、高い評価を受けています。
ミソノは、頑丈で手入れが簡単な包丁を製造しています。
フタバ(株) Futaba Co., Ltd. (MATE WAITER'S KNIFE )
フランスで生まれたソムリエナイフを日本の伝統的な職人の手によって作り上げることにより、それぞれのパーツのクオリティが非常に高く仕上げられており、刃物の町で作られたMATEのナイフはキャップシールを日本刀で切っているかのような切れ味を実現した。 また各パーツの取り付けにおいては、何度もボトルを空ける動作を研究しセッティングされているため非常に使い心地がよいのが特徴だ。 またスクリュー部分にはあえてフランスの名門が作るスクリューを使用し、スクリュー部分の特徴的な溝と55ミリという長さが、コルクへの負担を最大限に抑え、そして最高のコルクの引き上げを可能にしてくれる。
岡山県(新見市)Okayama - Niimi
岡山県西北部にある街です。
この山地に囲まれた小さな街には、2人の鍛冶職人がキッチン用の包丁やさまざまな刃物製品をすべて手作業で作っています。
包丁: 武田 松水, 三輪
(有)武田刃物工場 TAKEDA HAMONO Inc.
武田刃物工場は1920年に創設され、1951年に現在の岡山県新見市に移転しました。
この小さな工場では斧、鉈(なた)、鎌、包丁など、さまざまな刃物を製造していますが、その品質には定評があります。武田松水(1957年生まれ)氏は東京で学んだ後、父親の跡を継いで家業の鍛冶工場を経営することになりました。現在、3代目の鍛冶職人となった彼が製造する刃物は、その確かな技術と品質で優れた評価を受けています。数多くの厳密な工程を通して造られる手作りの刃物は、日本でも最高峰の品質を誇ります。
兵庫(三木)Hyogo-Miki
兵庫県の神戸市にほど近いところに位置する街です。
三木市は都市経済の街ですが、豊かな文化遺産が残り、酒造りのお米が栽培されているところでもあります。
もちろん、鍛冶職人の街でもあり、少量単位で非常に高い品質の包丁が作られています。
包丁: 田中, 藤田, 三寿ゞ, 永尾
田中一之刃物製作所 Tanaka kazuyuki Knives Factory

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田中誠貴氏は三木市で工房を構え、刃物の製造を引き継ぐ3代目の鍛冶職人です。スタッフと一緒に、さまざまな刃物をすべての工程で手造りされています。また、刃物づくりに情熱を傾ける彼は、新しい素材と独創的なデザインを絶えず追求し取り入れています。多様な鋼材を使い、斬新な商品を生み出す一方で、数十年来培われた伝統工法や技術をいつも大切に守っています。こちらでは、高い品質と丁寧に仕上げられたさまざまな刃物商品が豊富に取り揃えられています。
永尾駒製作所 Nagao kanekoma Manufacturing Co., Ltd.
永尾駒製作所は兵庫県三木市で創業してから1世紀以上にわたり、肥後守ナイフや一本型のナイフを製造し続ける老舗です。5代目 永尾光雄氏は、代々引き継がれてきた職人技を守りながら、この小さな鍛冶工房で培われた尊い伝統技を今に伝えています。仕事に対する彼の伝統的な姿勢や日本人らしさは、国際的に高い評価を受けています。彼は日本の歴史を代表する象徴的な存在であり、歴史そのものです。
(株)藤田丸鋸工業 FUJITA MARUNOKO INDUSTRY CO.,LTD.
兵庫県三木市にある藤田丸鋸工業は、藤田隆英社長の祖父が四ツ目の銘柄で1940年に創設した鋸の製造販売会社です。
2004年からは家族企業として事業を続けながら、伝統的な料理包丁の製造を始めました。VG10鋼と青紙2号、さらに白紙2号でつくられた品質の高い刃物は、種類の豊富なハンドル(柄)と独創的なカラーも加わり、他社製品とは一味違う個性的な商品を揃えています。
大阪府(堺市)Osaka - Sakai
大阪南部の港湾都市です。
日本でも有数の刃物鍛冶の街として知られる堺市の鍛冶は、3世紀頃から始まりました。この時代、堺では大規模な天皇陵 である« 古墳»が造られていたため、その道具類を製造する鍛冶職人が全国から集まるようになりました。
その後、1540年頃になると、ポルトガル人たちからタバコの葉を切るための包丁を作るように依頼されました。こうして、堺に包丁鍛冶が初めて誕生したのです。
堺の包丁は、その切れ味から瞬く間に有名になり、堺という名称そのものが高い品質を意味するようになりました。
堺の鍛冶職人たちは当初から、さまざまな工程を集団で分業し合いながら互いに協力し、発展していきました。今でも、堺の鍛冶職人たちが旧家名を持ち、また刃物組合などに所属するのは、このようなユニークな特徴が受け継がれているためです。
また、堺では堺打刃物とも呼ばれています。これは文字どおり «打ち刃物/鍛冶刃物» を意味しています。
このため、ほとんどの包丁は伝統的なものが多く、炭素鋼、斜め刃、柄はイトスギで構成されています。
刃物メーカー:八内刃物製作所、 佐助、青木刃物製作所、池田刃物製作所、馬場刃物製作所、榎並刃物製作所、堺刀司、ノムラ刃物、森本刃物製作所、田原製作所など
八内刃物製作所 YAUCHI HAMONO
八内刃物製作所は1937年に創業されました。現在は、二代目の八内靖夫氏が息子の剛さんと協力して、代々引き継がれてきた伝統の技を守り、一本一本手造りの包丁造りに取り組まれています。この小さな工房は、堺の刃物業界において刃物の品質に厳しいこだわりを持ち続けていることで知られています。